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年賀状もう出した?

年賀状もう出した?

 

今年は12月15日から年賀状の受付を始めているみたい。

私はもう出した。仕事の付き合いではなく(そもそも仕事してないし)友達宛しかないけれど。

 

私の出した年賀状は近い所なら隣の市に。

遠い所なら海を越え、日本アルプスを越え、津軽海峡冬景色を越えて南の島沖縄から北の大地北海道まで運ばれてゆく。

 

壮大。

 

そんな折、父親から年賀状出したか否かを尋ねられた。

 

父「ゆき、年賀状はもう出したのか?」

ゆき「今から出してくる」

 

父「俺は2枚だけだけどな。もう1週間前には出してきたよ。」

ゆき「はやいね。」

 

父「忘れてしまう可能性もあるからな。こんなのは早め早めだ。」

ゆき「そっか。」

 

というLINEで構わないような何気ないやりとり。

雨の午後、冷えるフローリングの床、ポットから沸き立つ湯気を眺めながら話していたんだけど

 

その日たしか15日だった気がするんだ。

 

つまり父親の年賀状は15日より前に出されていて、それってつまり年賀状でなく普通葉書と扱われる可能性もあるわけで

 

でも大丈夫。日本の郵便局はきっと優秀だから。気を利かせてどこかで止めておいてくれるはず。

 

そうじゃない未来を想像するとちょっと面白い。

 

仮に「謹賀新年 丑年ですね。今年もよろしくお願いします」とか書いていたら

1月1日より前に届いて、まだ子年なのに丑年ってかかれてあって、12月も終盤に差し掛かろうと言うのに「今年もよろしくお願いします。」

 

そしてはがきの1番目立つところに仰々しく「謹賀新年」

 

多分私なら秒でインスタにあげるに違いない。

 

私の年賀状はおそらく元日に着くのだろう。半分は県内、もう半分は海を越え日本を縦断するのだろう。

 

父親が出した年賀状はどこへ行くのかわからない。日本国のどこかであることはわかるけれど。

父親には私の知らない父の人生があって、その中の大切なだれか2人に届くのだろうと思う。

 

そして年賀状は準備するのは大変だけどもらうと嬉しいものだ。

きっと私の年賀状も父からの年賀状も、たった紙一枚でも誰かを温かく、幸せにする力があるに違いない。

 

どうか願わくば父親が送った年賀状が受け取る人の苦笑いにならないことを祈るばかりだ。