マッサージを受けている最中に眠ってしまいたくない
度重なる目の酷使、気温低下、運動不足により無事肩が死んだ。
まずいと思う。このまま肩が死んだ状態を放置していると年を越せないと思う。
そんな不安を感じたため、久しぶりにマッサージ屋に行ってきた。
マッサージに行くにあたって、使えるクーポンはすべて使い、予約も済ませた。完璧だ。60分3000円の全身もみほぐしコースをチョイスする。
「せっかく肩をもんでもらうなら」とこれでもかというくらい動画も見て目を酷使したし、普段肩を回したりしているけどそれもしなかった。
とりあえず肩を限界まで硬くしておいた。こちらの準備も万端。
でも、マッサージを受けるにあたって避けられない問題がある。
そう、「マッサージを受けている最中に眠ってしまいたくない」問題。
だってせっかくお金を払うんだもん。気づいたらマッサージは終わっていて、でもなんか肩は軽くなっている・・・なんて得したか損したかわからない、もやのかかったような気持ちになりたくないじゃない。
寝るなら家のベッドでもできるわけだし。
プロの手業による上質なリラクゼーション時間を心ゆくまで堪能したいの。
ということで、考えられる手を使いながら今日はマッサージ終了のその時まで眠らずにいたいと思う。
そうと決まればいざ出陣。
土砂降りの雨の中、何とかマッサージ店にたどり着く。
お店についたらまず先払い。上品に厳かに、だけどスマートに3千円を支払う。ただ、就職のめどもつかない現状、3千円をもつ右手が若干ふるえていたであろうことは想像に難くない。
されど一瞬の快楽のためにお金を払う。一種の自己陶酔と背徳感を体感しつつ、促されるままかたいベッドの上に横たわる。
ベッドに横たわる巨漢とガタイの良い男性店員。
その姿はまさに解体前のマグロ。
「今日お疲れのところは?」「好みの強さは?」いくつかの簡単な質問に答えた後、さっそく至福のひと時が訪れる。
かくしてマッサージが始まった。
皮肉なことにいつまでも堪能していたいような素晴らしいマッサージほど眠くなってしまうもの。
今日の担当者はまさにそんな腕を持ったプロ中のプロだった。気を抜くと眠ってしまいそうになる。
まずは考えられる最善の手。「揉まれた回数をかぞえる」という手段を取りたいと思う。
肩の患部を丹念にもみほぐす。非常に気持ちがいい。だが寝るわけにはいかない。
「1回・・・2回・・・」60分数を数え続けるという途方もない挑戦。だがきっと効果はてきめんに違いない。
「20回・・・21回・・・22・・・・2・・3・・・・」
・・・
・・・・
意識が飛んでいた。
時間にして5分もたっていないだろうが、完全に寝てしまった。
よく考えるとこの方法は非常にまずい。
そう、羊を数えるという方法に似ている。
日本ではおそらく効果はないのだろうが「眠い時は羊をかぞえろ」という教えが半ば催眠的に私を眠りへといざなおうとしている。
だめだ。この方法は使えない。
正直言うとめっちゃめんどくさい。
大丈夫。まだ別の手がある。
次は聞こえないくらいの大きさで歌をうたってみることにする。
選曲はすでにある。
MISIAのeverythingから始まり、B‘zのいつかのメリークリスマス、クレイジーケンバンドのクリスマスなんて大嫌い!なんちゃって、桑田佳祐の白い恋人たち・・・をループする「冬歌メドレー」だ。
「歌を歌う」という行動に加え、「彼女のいない冬を迎える寂しい男がクリスマスソングを歌う」という精神的ダメージで寝ることはできないだろう。
諸刃の剣ではあるが、構わない。それではさっそく歌ってみることにする。
(小声で)「すれ違う時の中で・・・」
店員「はい、何でしょう?」
OK。この方法はやめた。
しっかり聞こえているじゃないか。
大丈夫だ。まだ慌てる時間じゃない。まだ開始10分もたっていない。慌てる時間でない。それだけは確かだが
もう手詰まりだ。
上記の方法以外何も考えていない。
まだ慌てる時間ではないが開始10分足らずで既に万策尽きた。
まずい。このままではあと5分もしないうちに眠りの中だ。
心なしか「夢の中へ」を熱唱する井上陽水がまぶたの裏に浮かんでいる。それだけでなく井上陽水が近づいてくるような幻覚さえ見えている。
何か考えろ。
34年大して使ってきていない脳みそをフル回転させる。
とりあえず今寝てしまわないために応急処置的に指を絶えず動かしている。
何かないのか。素晴らしいマッサージを受けているにもかかわらず、寝ることなく60分をしっかり堪能できる方法は。
私の隣の隣のベッドに横たわるおじいさんと店員の会話が聞こえてくる。
おじいさん「特に足が痛いんだ。強めに頼むよ。」
店員「わかりました。ほかに痛いところあったらおっしゃってください。」
そうだ。この二人の会話を聞いておけばいいのか。途中でおじいさんが寝てしまう危険性もあるがそれは起こった時考えればいいこと。
わらにもすがるし翁にもすがる。
一縷の希望を託して二人の会話に耳を傾ける。
店員「足どうかされたんですか?」
おじいさん「うーん、昨日頑張りすぎたかな。」
頑張れ、店員さん。年配の男性は結構話したがりの人が多い印象だ。
言葉をどんどん引き出してほしい。少しでも会話を長引かせてほしい。
店員「そうなんですね。両足とも痛いんでしょうか。」
その調子だ。コミュ力半端ないね、店員さん。
おじいさん「ZZZ・・・ZZZ・・・」
さすがに寝るの早すぎると思うよ。私は。
まずい。これで会話を聞くという道も絶たれた。
まだまだたっぷりある至福のマッサージ時間。
刻一刻と迫りくる井上陽水。
何か考えろ・・・。
何か・・・。
ふと一筋の光明がさす。
人間が眠れない理由は「考え事」だと。
何か方法を考えるのではない。「考える」という行動そのものが覚醒している条件なんだ。
そうとわかれば考えることにする。
人間とは考える葦なのである。パスカルさんがそう言っていたもん。私、ちゃんと聞いたもん。
何を考えよう。
まず喫緊の課題として考えなくてはならないことは就職のことだ。
自分の好きなことをすべきか。
そもそも就職先はあるのか。
このコロナのご時世に?
っていうか私こんなところでマッサージにうつつを抜かしていていいの?
帰って履歴書書いたほうがいいんじゃない?
OK。就職について考えるのは一旦掃き捨てよう。
最悪、マッサージが終わったころに立ち上がれない可能性がある。
それなら、宇宙の始まりについて考えてみるか。
いや、余計肩が凝りそうな気がする。
考えるにはもっとくだらないこと・・・。
そう、くだらないことを考えなきゃ。
そう考えた矢先、頭の隅にひょっこりと小学二年生の頃の私が顔を出す。
う●こ・・・?
そうか、なるほど。人類普遍のテーマ、小学生の鉄板ネタ、う●このことを考えればいいのだ。
精神年齢的にも問題はない。
そうと決まれば話は早い。
さあ、シンキングタイム。
・・・それからは早かった。
残された50分間。
仕事もしていない30半ばのおじさんがなけなしの3千円を払い、至福のマッサージを受けながらう●このことを考える、何とも言えない空虚な時間。
隣で響くのはおじいさんの高いいびき。
時折強く、時折優しく包む店員さんの大きな手。
影も形もなく、サングラスだけ置いて行った井上陽水。
そう、私はおそらく自分史上初。
マッサージを受けている最中、眠ることなくサービスを堪能できたのだった。
なんか得した気分。
そしてとりあえずこの50分近い思考の結論としては「私の小学生時代にう●こドリルがあったらもっと勉強できる子になっていたと思う」っていうところだと思うの。
店を出る際、最後に店員さんに「おつかれさまでした」と声を掛けられる。
普通に考えれば「毎日お疲れ様。」という意味に他ならないのだろうが、今の私にはこの60分の葛藤を称賛する声に聞こえる。
「ありがとう、とても気持ちよかったです。」と優しく微笑み、私は店を後にしたのだった。
あんなに土砂降りだった雨は上がっていて、夕方の街は冬のにおいが増していた。